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手づくり寄席

徳丸 三凱亭

 

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「三遊亭金兵衛ひとり会in三凱亭」30回開催によせて

守口 滋章

守口さん

この度、「三遊亭金兵衛ひとり会」が30回目を開催するに当たって、私の場合ただもうダラダラとやってきて気がついてみると6年。開始当初は年4回開催でしたから、30回目ということになっていたという感じで、そんなに感慨もないし、特別な想いってのも無いんですよ。
気迫でやり続けてきたというよりも、希薄でやってきたというのが本当のところなんです。
本当に皆さんの力で続けられた会という気がしています。ですから、6年間のトータルな想いとして「感謝」の2文字は強く大きくあるのですが、個人的な想いというのはそんなに無いんですよねぇ。
しかしまあこんなことばかり書いていても仕方が無いので、少しばかし思い出すことなど書いてみたいと思います。

■金兵衛との出会い
確か8年か9年ほど前だったと思います。当時、立川駅のすぐそばの居酒屋さんと付き合いがありまして、ほとんど使っていない3階の座敷を活用するための宣伝として、「落語と色物の会」を毎月一回やることにしました。
その会の2回目の出演者が、当時二つ目になりたての金兵衛だったのです。ちなみに第1回の時の前座が立川ブラ談次、今の談奈でした。

当初、私の知り合いの芸能プロダクションが出演者を調整してくれていたのですが、出演候補者リストを見たとき少し戸惑いました。というのは、その2ヶ月ほど前に、金兵衛が高田馬場の蕎麦屋さんの二階でやっている落語会に行っていたからです。その時の印象は正直のところあんまり、というより全然ダメでした。それで、どうかなぁと少々心配しましたが、せっかくの紹介だし、落語は、確か柳家小里ん師匠か金原亭馬生師匠だったか、もう一人真打もいるから何とかなるだろうと出演してもらうことにしました。
ところが当日、二度目に聞いたときは、前に聞いたときと比べて明らかに違ってずいぶん良くなっているように感じられました。何しろ初めの印象が”今一以下”だったから、ちょっとでも良くなっていれば随分良くなったと感じられたのでしょう。あるいは、その前の会に聞いた若手が談奈だったせいかしら?!
聞けば、毎日どんなことがあろうとも必ず3席習っているんだそうで、落語に対する意気込みが感じられました。 その後、面付け(出演者の選定や交渉)をしてもらっていたプロダクションが降りるという話になって、落語会として続けたかった私が相談したのが金兵衛でした。

当時はまだ、いわゆる落語ブームといわれる物の到来する前で、若手の噺家は客前で話す機会が少ないころでした。そこで若手中心の落語会ということにして、落語は前座をブラ談次、色物はブラ談次のコネで若手の生きのいいの、もうひとつの落語を金兵衛の紹介で当時の二つ目の上から順番に声をかけるという形で進めました。その中には今をときめく桃月庵白酒(当時五街道喜助)や柳家三三などもいました。
そんなこんなで1年ぐらい続けたでしょうか。ところが幾つかの事情がからんで、結局その会を休会することになりました。会の運営に協力してくれていたブラ談次や金兵衛に事情を説明して、またの機会をということで別れたのでした。

その後、私と三凱亭さんとの出会いがあって、当「三遊亭金兵衛ひとり会in三凱亭」の立ち上げということになるんですけども、まあこんなところが私と金兵衛の付き合いのはじめの頃のことでしょうか。

 

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