先日金朝師と飲んだ時の話題について書きます。
橘家文蔵門下で2月に二つ目になった文太という噺家が、落語協会に在籍のまま、九州を拠点に活動することになった、という事は新聞にも載りましたのでご承知の方もあるかと思います。新聞によりますと、最近は地方でも様々な落語会が開催されたり、中には常設の寄席を作ろうという動きまであったりと、落語がブームになっているんだそうで、そうした流れの中で、師匠文蔵の後押しもあってということなんだそうです。
東京では毎日何十か所で落語会が開催されていますが、噺家の数も多い。若手では客の入りも限られているのでなかなか喰っていくのも大変だ。地方に行けば演る奴が少ないから仕事はある。確かに話は解かる。だけどどうなんだろうって話。
私が金朝師と初めて会った頃は、まだ落語ブームの前で、落語会も少なかったですし、客も少なかった。二つ目になりたての噺家なんぞに、客前でしゃべる機会などいくらもありはしませんでした。それでも毎日どんなことがあっても三席習うのを欠かさなかった男からしてみると、忸怩たる思いがあるのではないでしょうか。
「淀五郎」という噺の中で、明日腹を切って死のうと思い詰めた淀五郎が、秀鶴中村仲蔵に暇乞いに行くと、事情を知らない仲蔵が意見するところがありまして、「困ったものですねぇ、最近の人はちょっと出世をするとすぐ旅に出たがる、そりゃぁ旅に出れば役は付くよ、だけどもそれは本当の修行にはならない、やっぱりこっちにいて本当に修行をしなければいけないんだが」というのがあります。
落語は江戸前の芸、なんて言うのは古いんでしょうかねぇ。
本日は御来場ありがとうございました。
令和2年11月7日 もりぐち
―『 第42回 三遊亭金朝一人会 』目録― |